Interview 04
東京2020経済界協議会に学ぶ
DCXforceのカルチャー形成の原点
対談記事
目次
0. プロローグ
なぜ、DCXforceの価値観は東京2020オリンピック・パラリンピック競技大会から生まれたのか?
DCXforce が大切にするEnjoy / Speed / Partnership / Breakthrough / Crewという行動指針やカルチャー。それらの“源流”は、代表の新宅が 20代半ばで飛び込んだ、ある巨大プロジェクト にあった。それが、「オリンピック・パラリンピック等経済界協議会」(以下、協議会)。東京2020大会に向けて、経団連・経済同友会・日商など、経済界全体が結集した“オールジャパンの企業連合”である。最終的には、669社・437自治体・200万人以上 が参加した、近年まれに見るスケールの民間主導プロジェクトとなった。
その協議会の中枢で動いていたのが、トヨタ自動車 オリンピック・パラリンピック部 副部長として全体の企画・運営を取りまとめていた 上田裕之氏。そしてそこへ、社員10名未満のベンチャー企業から当時24歳だった新宅が 外部コンサルタントとして参画した。立場も規模も経験も異なる二人が、同じ現場で汗をかき、未来のためにレガシーを残すという大義に向き合った “あの5年間”。
この対談記事では、二人がその期間で何を見て、何を感じ、どんな価値観が育まれたのかを辿ることで、DCXforce のカルチャーとビジョンの原点 を紐解いていく。
1. 経済界協議会の概要
まず、上田さん。協議会とはどのような団体だったのでしょうか?
上田氏 東京2020大会に向けて、経団連・経済同友会・日商など経済界全体が一体となって立ち上げた “オールジャパンの企業連合” です。最終的に 669社・437自治体・200万人以上 の企業人が参加しました。
団体の目的は、どのようなものだったのでしょうか?
上田氏 協議会の思想の中心には “レガシー” があります。わかりやすいところで言えば、先人たちは1964年の東京大会で、新幹線・高速道路・通信インフラといった ハードレガシー を残してくれました。
1964年大会は日本の戦後の復興と経済成長の象徴でもありましたよね。
上田氏
そうですね、そうしたものをソフトレガシーと呼びます。”行動や意識、カルチャーの変化”などが当てはまるでしょう。だからこそ協議会では、“未来の子どもたちのために、東京2020大会を通じて何を残せるか?”という問いを出発点にしていました。ハードレガシーは各企業が技術開発やインフラ整備で取り組んでいましたので、協議会としては、特に ソフトレガシーに注力していました。
また、協議会は企業の利害を超えて協力し合う、大義のある組織でした。『オールジャパンで創る 未来の子供たちのために残すレガシー』という合言葉を軸に、“企業人が主体となって未来へ残す価値”を本気で議論し続けたことは私にとっても貴重な経験となりました。
具体的にはどのような活動が行われていたのでしょうか?
上田氏
協議会の活動は大きく5つの領域に分かれていました。
まず“スポーツ”。 “誰もがスポーツを楽しめる社会” を目指し、障がいの有無を越えて楽しめる『Office de Boccia』が象徴的でした。全国で1,200以上の団体が参加し、企業横断の大きなムーブメントになりました。
次に“バリアフリー”。 誰もが不安なく過ごせる社会づくりを目標に、企業人ボランティアが施設を訪れ“バリアフリーマップ”を作成しました。約1,900名が参加し、まさに協議会らしい現地現物の取組みでした。 物理的なバリアだけでなく、“心”や“文化”のバリアにも向き合っていました。
3つ目に“日本の魅力”。 競技会場の美化活動『KEEP THE STADIUM CLEAN』や、東北復興を応援する『JAPAN市』など、地域と企業が協働する企画が多かったですね。
さらに、“復興・次世代育成”。 東北で企業人が学校へ出向きキャリア教育を行うなど、未来の担い手づくりに取り組みました。
最後が“ハードレガシー”。 各社が未来技術を持ち寄る『COUNTDOWN SHOWCASE』が代表例です。 東京モーターショーとの連携で実現した FUTURE EXPO では、世界に向けて“これからの日本の姿” を示しました。
活動を通じて、企業人にも “レガシー” が残ったのでしょうか?
上田氏
はい。これも協議会活動での大きなテーマの1つでした。会期終了後の LEGACY REPORT で、団体の会長であり、当時弊社の社長であった豊田章男はこう述べています。
『オールジャパンで汗をかき、現地現物で動けば、必ず共感する仲間ができること。皆さまと歩んだ6年間の中に、その意義と価値の大きさを感じています。』
“企業や組織の枠組みを超えた仲間”が我々企業人にも残りました。目先の事業利益ではなく、未来の子供たちのために残すレガシーを目指した組織だったからこそ生まれたソフトレガシーだと思います。私自身、全国にかけがえのない仲間ができました。新宅さんもその一人です。
2. 24歳ベンチャー役員が呼ばれた理由
上田さん、新宅さんが協議会に加わることになった経緯を教えていただけますか?
上田氏 協議会では“企業のアセットを使って未来のレガシーをつくる”という思想で動いていました。だからこそ、特定のケイパビリティに特化した知見だけでなく、理念を理解し、戦略を策定した上で、現地現物で汗をかける“機動力のある人材”が必要でした。当時、共に企画運営を行っていた電通さんへそうした人材のアサインメントをご相談しており、何名かご提案いただいた後、最もフィットしたのが新宅さんでした。
24歳の新宅さんからすると、異例の抜擢ですよね。
新宅 はい、なんの肩書もないに等しい状況でしたらからね(笑)。当時、電通の協議会担当の方と同じチームの方に、『デジタルに明るく、戦略から実行までコミットできる人材を探しているプロジェクトがあり、是非紹介させて欲しい』とご連絡いただいたのが最初でした。話を聞いてみると東京2020大会関連かつ、トヨタ自動車さんが旗振りをされているとのことで、ワクワク感しかありませんでした。
3. 水道橋・トヨタ本社での最初の出会い
初めてトヨタ本社で打ち合わせをした時のことを覚えていますか?
新宅 覚えています。トヨタ×オリンピックということで緊張したことはもちろんありました。実は、当日の打ち合わせ前に電通の協議会やオリパラ担当の方々とも何度も面通しがあり、それも相まってすごい方にプレゼンをするんだとプレッシャーを感じていましたね(笑)。ただ、現場担当の方からはいつもの感じで大丈夫ともいただいており、協議会のデジタル活用について率直にご意見をお伝えしたところ、上田さんは“なるほど、じゃあやろう”と即決してくれました。“こういう人を連れてきて欲しかったんだよ”とまでおっしゃっていただけてとても嬉しかった記憶があります。
上田さんは当時のことを覚えてらっしゃいますか?
上田氏 はい、覚えています。初回の打ち合わせで“協議会の理念理解”と“思考の速さ”を感じました。その場で即『もっと入ってもらおう』と判断しましたね。決め手となったのは今どきの若者の感性を持ちながら、物怖じせず、忌憚ない意見をバシバシ言ってくれる姿勢でした。協議会はもちろんのこと、私自身にも多くの刺激を与えてくれるだろうと確信しました。本当は良くないんでしょうがその場で来週個別に飲みに行こうと誘ってしまいましたね(笑)。
新宅 あれはびっくりでした(笑)。神楽坂で美味しいイタリアンをご馳走になったことを今でも覚えています。協議会のお悩みや2020年とその先について大きなビジョンを伺い、私自身、より熱量が高まりました。
4. 経済界協議会での取り組みは?
新宅さんは具体的にどのような業務を担当していたのでしょうか?
新宅
当初はデジタルチャネルの活用が中心でしたが、2018年の年始からはより幅広い業務をお任せいただきました。主な役割は以下の通りです。
・年間コミュニケーション戦略設計
・デジタルチャネル活用方針の策定
・分科会(WG)活動の伴走・情報発信
・出口から逆算した新規企画の立ち上げ
先程上田さんのお話にもあった通り、協議会の活動は一般的なブランドプロモーションではなく、ゴールが“レガシーの創出”というフワッとしたお題でした。また、その活動をWG単位でバラバラに行っていたことも1つの特徴です。そのため、WGに横串を刺してのコミュニティ形成と熱量を絶えず高め続けることがコミュニケーションにおいて求められておりました。強いて言うならインナーブランディング的な側面が強いプロジェクトだったと言えるでしょう。
どんな点で苦労されましたか?
新宅 先程申し上げたように、フワッとしたお題を実現するために年間の戦略策定とそこに紐づく企画検討から実行まで担当していました。ただ、提案すれば全て通ることはまずありません。各WGに属する企業人もあくまで所属組織があった上での協議会であるため、活動を展開する中で多数の調整を要しました。また、各WGの活動については活動自体をレガシー化するのかなど、流動的な部分も多く、随時チューニングが必要な運営だったことも難しいポイントでした。横串を刺すような企画であればあるほど難しかったです。
そんな中でも最も印象的だった企画などはあるのでしょうか?
新宅 最も印象的だったのは「経済界リーダーの現場訪問」です。実は、アイデアの起点になったのは自分の発言だったと記憶をしています。どうすればより企業人を巻き込んでいけるのか?若者はどうしたらより前のめりにこの活動に取り組んでくれるのか?ということを現場で会話していたんです。当時のわたしは無邪気に『豊田章男会長が大きな現場に全部来て一緒に汗をかいてくれれば本気度が伝わる』と発言した記憶があります。
無邪気すぎる発言ですね(笑)
新宅 さすがに無理なことは重々承知でしたが、協議会の目指す世界観とはそういうことなのではないだろうか?と感じておりました。その後、各WGの方々のご尽力もあり、各社の役員が現場訪問を行い、一緒にボランティア活動などに汗をかく「経済界リーダーの現場訪問」という企画に仕上がりました。私自身も一緒に現場で活動に取り組む中で、協議会ならではの世界観が広がっていたことを強く覚えています。
5. DCXforceに受け継がれたDNA① 経済界協議会で体験した“ワンチーム文化”
協議会には独特のカルチャーがあったと聞きます。
新宅 まず“お世話になっております禁止”でした(笑)。
それはなぜだったのですか?
上田氏 オフィシャルルールというわけではありませんでしたが、私をはじめ、現場チームは大事にしていましたね。理由は『企業の壁を超えた仲間だから』です。年齢も役職も関係なく、フラットに意見を交わせる組織にしたかったんです。
上田さんとの個人的関係も特別だったんですか?
新宅 はい。当時単身赴任だった上田さんのご家庭の話や、娘さんの受験の話まで聞かせていただきました。僕の方が娘さんに近い年齢なので、就活についても偉そうに相談に乗ったり(笑)。
上田氏 本当に色々と話していましたね。唐突に僕が好きそうなお店を見つけると送ってくれて、 “今日いくか”と誘ってみたり。近しい間柄でした。
新宅 実は、DCXforceのオフライン重視の文化もここが原点なんです。オンラインでは見えないものが現場にはある。『五感で感じる情報の価値』を協議会で学びました。また、所属企業に関係のないワンチームは意見交換が活発になり、スピード感を持った組織が生まれることも身にしみました。
6. DCXforceに受け継がれたDNA② 現場で感じた“主語の大きさ”
他にもDCXforceに今なお受け継がれていることはありますか?
新宅 協議会で最も衝撃だったのが、50代・60代の経営層の方々が“少年のような熱量”で働いていたことでした。地方イベントでは泊まりになることも多く、そうすると一緒に出張にいった方々とはお食事などもご一緒させていただく機会がありました。
20代なかばで大企業の役員クラスの方とそうした機会を得られたのは貴重ですね。
新宅 はい、とてもありがたい経験をさせていただいたと思います。まず、皆さんの主語がとにかく大きいんですよ。『日本が』『業界が』『未来の子どもたちが』こうした主語で語る大人たちに触れる機会はなかなかなかったので衝撃的でした。“会社は社会の公器”という視座を持つようになりました。そして何より、夜の会食や少人数での時間の中で、各社の役員の皆さんが本気で語り合い、心から楽しそうに働いている姿に触れました。その熱量に触れ、自分も“何十年先も熱狂しながら働きたい”と強く感じたことが、行動指針“Enjoy”の原点にあります。
7. DCXforceに受け継がれたDNA③ 後世にレガシーを残すという思想
DCXforceとして残したいレガシーはあるのでしょうか?
新宅 残していきたいと考えています。企業活動は利益を生むだけでなく、社会に価値を残すためにある。協議会で学んだこの思想は、これからのDCXforceの核になる思想です。私たちはマーケティング支援会社でありながら、直接的に“社会にレガシーを残す会社”でありたいと考えています。1人1人が日本社会に対して関心を持ち、繁栄のための一助になれるような組織にしていきたいです。かつて、松下幸之助が説いた「繁栄によって平和と幸福を」という考え方にも近いと思います。
8. DCXforceの目指す未来
DCXforceが今後、組織創りをするうえでどのような人材を集めたいのでしょうか?
新宅 業務内容より思想に共感する人材を求めています。達成への道のりをともに考え、泥臭く全力で駆け上がる。会社創りを自分ごと化し、組織と事業の拡大をともに喜べ。そんな人材と一緒に“主語の大きい仕事”に挑戦し、ワクワクする未来を創りたいです。

上田さんからも一言いただけますでしょうか?
上田氏 ワンチームで同じ目標を目指した協議会での経験と汗をかいた仲間は、私にとってもかけがえのない財産です 。新宅さんという『機動力』と『志』を兼ね備えたリーダーが、協議会の現場で培ったスピリットを糧に、どんな未来を描いていくのか 。かつての戦友として、そしてこれからの未来を共に創る仲間として、DCXforceの挑戦を全力で応援しています。
9. エピローグ ——あの5年間がくれたもの

東京2020大会に向けた協議会の現場で、トヨタの中枢を担った上田氏と、 当時24歳の弊社代表の新宅が出会い、共に汗をかいた “あの5年間”。立場も経験も異なる二人が価値観を交わした時間は、 DCXforceの中でも確かに息づく“源流”となり、 組織の文化や思想として、これからも受け継がれていくことだろう。